学校日記

【10月29日】被害者意識

公開日
2021/10/29
更新日
2021/10/29

Kのつぶやき

 昨日も載せたマーク・マチニックの著書『後悔しない生き方』の中から関連して「被害者意識を持たない」という章についてです。筆者が、中学2年生で所属した少年団で体験した「哀れみのゲーム」という、「自分の今の状況にはいっさい責任を負わず、後悔していることや不満、物事がうまくいかない、運に恵まれていないなどの不満を言い続けていくゲーム」を通して筆者が感じたことが述べられていました。一部要約等して載せます。

 このゲームを進めていく「リーダー(指導的立場の人)」は、上のようなメンタリティー(心の状態)を「被害者意識」と呼び、本当の被害者とはっきり区別した。そして、彼はこう断言した。
「こういう人(他人のせいにして不満ばかり言う人)は自分を被害者としてみなしているが、本当は自分の状況を変える能力を持っている。ところが、どういうわけかそれができないと思い込んでしまっているのが実情だ」
 次に彼(リーダー)はメンバーたちに「自分はなんてかわいそうなんだ」と感情を込めて言う練習をさせた。そうすることで、この「病気」にかかっている人が周囲の人にとってどれだけうっとうしいかを理解させようとしたのだ。さらに、被害者意識を持つ子どもがよく口にする不平の具体例を紹介した。
「親が悪いから、こんなことになってしまった」「先生の教え方が悪いから、テストで悪い点をとった」「コーチの教え方が悪いから、試合で活躍できなかった」
 そして、そのセリフを言ったあとで、「自分はなんてかわいそうなんだ」と嘆かせるのだ。この奇抜な練習はたいへん印象的で、今でもはっきり覚えている。
 その後、子どもだけでなく大人も哀れみのゲームに興じる傾向があることに気づいた。被害者意識を持つ大人は、自分が損な役回りを演じさせられていると感じ、絶えず不満を言う癖がついている。よくある不平として
「こんなに頑張って働いているのに認めてもらえない」「こんな状況では生計を立てることはできない」「他の人たちはみんな楽しそうに暮らしているのに、自分だけ不幸だ」「どの人からもばかにされている」
 などがある。こういう人は人を哀れむ気持ちでいっぱいで、後悔しながら生きている。自分が被害者だという気持ちが強すぎて身動きがとれず、人生を積極的に切り開こうとしない。おまけに、こういう人は一緒にいても全然楽しくない。
 どうすればこの被害者意識を捨てることができるか?
 その出発点として、人はみな、自分が直面している状況への対応の仕方を変える力を持っていることに気づかなければならない。たとえば、今日うまくいかないことがあった、仕事に不満を感じている、人間関係の問題を抱えている、目標が達成できそうにない、といった状況をどう処理するかは、完全に自分次第である。その原因の外的な要素ではなく内的な要素を探そう。他の人を責めたり、勝手な言い訳をしたり、無力な人物を演じたりしてはいけない。
 自分が不平を言っていることに気づいたら、すぐにやめよう。自分の状況に責任を持ち、適切な解決策を考えよう。それを実行すれば、やがて道が開けてくるから、後悔する必要がなくなる。

 読まれてどう感じられましたか?私もこれまでよくありました。「何で俺だけ…」「頑張ったのに…」「俺、不幸やん」「どうせ、俺なんか無理!」・・・周りの人や様々な外のものに指を向けてそのせいにして、納得する自分。しかし、すっきりはしません。モヤモヤはずっと残るのです。そして、不満ばかりの自分の表情は、きっと暗く怒りに満ち、イヤな顔をしていたのだろうと思います。周りの人にもイヤな思いをさせたのだろうなと。
 それよりも、自分に指を向け、「自分はどうなのか?どうだったのか?」そして、「どうすれば改善されるのか?よくなるのか?」それを考え、「自分ならきっとできる!」と思って取り組んでいく。時間はかかっても解決したり、改善されたりする。そんな経験、皆さんにもあるのではないでしょうか?
 昨日紹介した、ロイド・バクラックさんも足に障がいがあるからできないではなく、自分のよさに目を向け、前向きに努力されたからこそ、多くの人を感動させる数々の偉業を成し遂げられたのだと思います。それでも、弱さを持ち合わせた人間ですから、くじけそうになったり人のせいにしたくなったりするかもしれません。そんなときは少し立ち止まって、またゆっくっりとリセットしていけばいいのだと思います。