【2月7日】人柄
- 公開日
- 2023/02/07
- 更新日
- 2023/02/07
つぶやき
今朝の西日本新聞の「春秋」からです。
音楽と演劇の街、東京・下北沢。にぎわう昼間、革ジャンにサングラス、のっぽな男性が大きな食器棚を抱え、牛歩のごとく進んでいた。隣に革ジャンの女性。鮎川誠さん、シーナさん夫妻だ。ライブ出演で面識のあったミュージシャンで作家の辻仁成さんが駆け寄ると「おー、辻か、なんしよっとか」と鮎川さん。なんしよっとですかって言いたいのはこっちなのに、と思いつつ、福岡の思い出話をしながら自宅まで棚運びを手伝った。25年前の出来事を辻さんはブログに回想した。
4日の鮎川さんのロック葬には4千人が参列し、玉川上水沿いに列が続いた。愛用のギター「ギブソン・レスポール」、開演直前に書いた曲順表、愛用の革ジャンが並び、泣き崩れるファンも。この日、福山雅治さんはラジオで「僕の音楽の、エレキギターの出発点です」と同じ九州のヒーローを悼んだ。夜の下北沢では喪服のバンドマンが遅くまで杯を重ねた。
地方が東京に憧れ、標準語化されていく時代の大波を物ともせず、久留米弁に博多弁、シーナさんの北九州弁も混ざった方言をずっと変えなかった。「リバプールのビートルズとかロンドンなまりのストーンズがそのままやっている。ロックの大事な教えの一つです」と以前本誌に語った。犬の散歩中もレコード店でも声をかけられると気さくに応じた。ツアーでも故郷でも。享年74。飾らない誠(まこと)のロッカーだった。
日刊スポーツのネットニュースには次のように載っていました。
次女でマネジャーの純子さん(46)は「日本の北から南まで昨年一緒にツアーができて、全部が思い出。熱いファンがいらっしゃって、ここ何十年の宝物として心に残っています」と懐かしんだ。10年前にマネジャーに名乗り出て、ともに活動してきた。「今はどうしたらいいのか分からない。亡くなる前まで父はずっと音楽のことばかり考えていた。亡くなる前だったから、(純子が)震える手で曲順とか次に出したいアルバムとかとにかくメモをして、少しでもお父さんとお母さんがやりたかったことを形に残して皆さんに聞いてもらうことが私の願い」と両親の遺志を引き継ぐ。
母のシーナさんが亡くなってからは、ボーカルを務めた三女の知慧子さん(39)は、「シーナ&ロケッツを歌えてすごく幸せな時間を共有できました」としながらも「この3年間は毎週父とライブを北から南まで回ってきた。父のギターに中毒になっていて、それがないことが耐えられない。お父さんのレコードを聴いて過ごします」と喪失感を口にした。父の音楽活動について「愛にあふれて最高の楽曲をたくさん作ってきた」といい「みんなに聞いてほしくて私も歌っていた」と語った。長女の陽子さん(46)も「こんなにカッコイイお父さんは世界中にいないです」と涙目で話していた。
最後まで、ロックを愛し、人を愛し、郷土を愛し、信念や志を貫き通した鮎川さん、亡くなる直前まで音楽のことばかり考えていたという生き方は本当に凄いと思います。そして、その気さくな人柄だったからこそ、葬儀に4千人もの人が集まるほど、多くの人に愛され続けたのだろうと思います。どんな仕事であっても、志を持ち続けること、努力し続けること、そして何より「人柄」「人間性」がいかに大切かを、鮎川さんは教えてくれているのだと思います。