【10月8日】まだ見ぬ世界
- 公開日
- 2024/10/08
- 更新日
- 2024/10/08
校長のひとりごと
今朝も生徒会役員改選のための、選挙運動が行われていました。校門付近から昇降口にかけて、立候補者とその応援の子どもたちがたくさん並び、「おはようございます!」「○○○○をよろしくお願いします!」と、元気に呼びかけていました。改めて子どもたちのパワーと素晴らしさに自然と笑顔になりました。11日の立会演説会へ向けて協力して頑張ってほしいですし、選ぶ子どもたちは、しっかりと立候補者の演説やその姿、日頃の様子などからきちんと考え、投票してほしいと思います。
さて、昨日も載せた人間学を学ぶ月間誌『致知』に「二十代をどう生きるか」というテーマについて書かれたもので、首都圏を中心に「日高屋」「来来軒」をはじめとした中華料理チェーン店を約450店舗を展開するハイディ日高会長の神田正さん(83歳)が寄稿されていました。
神田さんは、埼玉県の非常に貧しい家庭で育ち、苦しい生活を余儀なくなれていましたが、「頑張れば大丈夫!」が口癖、働き者で明るい気性のお母さんのおかげで、まっすぐに生きていくことができたと話されています。中学卒業後に家計を担うために東京の町工場に就職するも、嫌気が差しわずか15日で逃げ帰る。きっと叱られると玄関を開けると、「いいんだ。自分の人生なんだから、好きな仕事をしたほうがいい」とお母さん。そんなお母さんの愛情を受け、お母さんのためにも一生懸命に働こうと決意されたそうです。そのあと、様々な仕事を転々としていたのですが、22歳の頃、友人に誘われ埼玉の浦和のラーメン屋で出前持ちを始めました。決してしたかった仕事ではなかったそうですが、だんだんとこの商売のよさに気づき、ラーメン屋をいくつかまわりながら修行されていました。最後に勤めていたラーメン屋の立地が悪く閉店に追い込まれたそうですが、それまでの神田さんの熱心な働きぶりを見ていた家主の方が、「私が保証人になるから、君がラーメン屋を続けないか?(君が)一所懸命やるのは間違いない。君は必ず成功できる!」と言われます。その気持ちに応えるべく再開したラーメン屋。待っているだけではお客さんは来ないと、タクシー運転手をしていた弟さんを呼び寄せ、デリバリーも始めます。深夜営業も開始し、朝9時から深夜3時までぶっ通しで店に立ち続けられたそうです。年中無休で働き、ついには、評判が評判を呼び、経営は軌道に乗ったそうです。しかし、このことで調子に乗って、何でもできると思った神田さんは他の経営にも乗り出したところ、うまくいかず、すべてを失う結果となります。自分の無力さを知り、地方に逃げて一から…と思っていたところに、またチャンスが。カウンター6席の小さなラーメン屋を始め、弟さんたちにも手伝ってもらいながらまた黙々と働かれます。失敗したことで、ひたむきにラーメン経営に懸命に取り組むことができたそうです。いいものを安くをモットーに、その後も、弟さん、義弟さんと夢を語り続け、努力をされラーメン屋をチェーン展開されて成功の道へと繋がっていったそうです。神田さんがこんなことを言われています。
◆夢は見るものではなく、語るもの。絶対に諦めず、打つ手は無限の気概(きがい:困難にくじけない強い意志)で粘り強く取り組んでいれば、夢は叶う
◆自分が好きな仕事で一生を送れる人は一番幸せだと思う。だからこそ、二十代は仕事も遊びもとにかく一歩踏み出すこと。失敗しても、いくらでも立ち直れる。挑戦と失敗を繰り返し、自分の生涯を捧げる道を見つけるのが、二十代の十年間ではないだろうか。だからと言って、むやみやたらに転職するのはおすすめしない。給与や待遇面を言い訳に転職するのはもっての外。たとえ最初は合っていないように見えても、続けていけば面白みややりがいを見いだせることがある。
二十代だけでなく、中学生の子どもたちにもたくさんのチャレンジをしてほしいと思います。精一杯の努力をしてチャレンジして失敗する分は一向にかまわないと思います。むしろそういう失敗ほど自分自身の「糧」となるし「力」となります。神田さんも
「目の前の仕事に全力で打ち込むことが、天職に巡り会う秘訣」
「未来を担う若者にはまだ見ぬ世界にワクワク感を抱きながら、夢に向かって挑戦してほしい」
と言っています。子どもたちにも、まずは目の前のことに精一杯に打ち込み、失敗しながらも諦めず、自分の可能性を広げ、すくすくと伸びていってほしいと願います。