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【10月30日】書

公開日
2024/10/30
更新日
2024/10/30

校長のひとりごと

 10月28日付けの日本教育新聞のコラム『不易流行』からです。


 毛筆で字を書く機会は、一昔前に比べて随分少なくなった。昭和の時代には、多くの町に複数の書道教室があった。今は書道を習おうと思っても、教室探しにひと苦労というところもあるだろう。入学式や卒業式などでも雄渾(ゆうこん)な筆致(ひっち)の立て看板が見られたが、最近はプリンターの印刷が増えた。テクノロジーの発展に伴い、書道人口は減少してきた。以前、著名な学者が対談で、教育で一番忘れられているのは体の使い方だと話していた。脳だけが訓練できるわけではなく、入っては出ていくという、ひとつのつながりが学びの本質であり、教育とは「身に付けること」だと。そう考えると、毛筆で字を書くことは、手本を見てその形を認識し、自身の腕や手や指先の感覚を稼働している。まさにインプットとアウトプットとの、ひとつながりの学びとなっている。さらに、認識した手本から創造的に自身の思う字を書くこともできる。AI時代にこそ再評価が求められる、にんげんの創造性が培われる学びではないだろうか。

 今年1月、「書道」のユネスコ無形文化遺産への提案が正式に決定された。日本の書道文化全般の保護の中には、学校教育や生涯学習での書道も含まれている。書写、書道の授業を通して日本の文化に触れ、五感を通して「書」を身に付けていく機会の提供は、学校教育が担う大切な役割だろう。


 私は小学校時代、母の勧めで近くの書道教室に、「毛筆」と「硬筆」を習いに行っていました。定期的に清書したものを提出していくと、「級」から「段」へと順に上がっていくものでした。とても意欲的に取り組んだ…とはいきませんでしたので、大人になると特に、もっと真面目に真剣に学んでおけばと思うようになりました。それで「日頃から練習」も兼ねて、機会があれば(時々ですが…)「筆ペン」を使って「字」を書くことを心がけています。しかし、未だに上手に書けません…。時々、とても上手できれいな字を書かれる方がおられると本当に感心します。もちろん、丁寧に心を込めて書いておられる方にも感心するとともに、自分自身の適当な字を反省することもあります。

 学校では、国語の時間に「書写」の時間がきちんと位置づけられており、子どもたちが一生懸命取り組んでいる様子を時々見ることができます。便利な時代で「手書き」をすることも少なくなってはきましたが、やはり手書きの文字が丁寧で心がこもっていると何だかとても嬉しいし安心します。何より、「書くこと」は、脳にとっても体にとっても大切なことですから、学校においてもタブレットばかりでなく、「書く活動」も大切にしていきたいと思います。


 ちなみに…

 パソコンで文書を作成することがほとんどな私は、必要に迫られ手書きをするときに、簡単な漢字ですら書けないことが多くて困っています…(^_^;)

 皆さんはいかがですか?