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【4月10日】利他の心

公開日
2023/04/10
更新日
2023/04/10

校長のひとりごと

 新学年、新クラスになり、新しい環境の中でまだまだ緊張したり不安に思ったりしている子どもたちもいると思います。それでもきっと、「これから頑張るぞ!」という意欲にあふれている子どもたちばかりです。
 環境が変わるということは大人でも不安だし、緊張することも多いですが、この新たな出会いや新たな場所が、新たな学びを生むチャンスであるし、成長するチャンスだと思うのです。
 教室をまわっていると、にっこりと微笑んでくれる子がいます。周りに気を配りながら「おはようございます」と言ってくれる子がいます。本当に素敵な子どもたちがたくさんいるなぁと思います。これからもっともっと子どもたちの素敵なところを見つけ、一緒に成長していきたいと思います。
 
 ところで、4月8日は義父の命日でした。11年前の3月のはじめに入院し、「自宅に戻りたい」という本人の希望が叶わず、89年の生涯をとげることになりました。このとき私は3年生の学年主任で担任という立場でした。クラスの子どもたち、学年の先生方等には申し訳ない気持ちもありながらスタート早々、私は学校を2日間休ませてもらいました。
 その3年半前に、私の母を亡くしていたのですが(母のエピソードについてはまたいつか…)、今まで当たり前にいてくれた大切な人がいなくなることが、これほどつらいことだと感じることはありません。しかし、現実を受け止め、残された者はまた頑張っていくしかないのです。義父の通夜の最後に、お経をあげて下さったお坊さんが、こんな話をされていました。

「今、家族の方は悲しみでいっぱいだと思います。…“散る桜、残る桜も散る桜”…きれいに咲いていた桜が少しずつ散りかけていますが、未だにしっかりと咲いている桜もありますよね。でも、いずれはすべての桜が散ってしまうのです。一年中咲いている桜などないのです。人の命も同じです。いつ、どのような形でなくなるかは誰にもわかりません。どんなに長生きをしようがいつかはなくなるものなのです。でも、人の心の中に生き続けることはできます。私たちが悲しみから立ち直り、故人が残してくれた大切なものに感謝をしながら、新たな気持ちでまた生きていくことが大切なのです。」
 私はそのときこう思いました。
 すべての人の「命」にはみな「限り」がある。だからこそ、限られた命を大切にしなければならない。命を大切にするということは、単に生きるということではない。今を精一杯に生きることだと。毎日を全力で生きることだと。「文句」や「不満」ばかりを言い、人のせいにすることではなく、前向きに生きていくことだと。それとともに、誰かのために、地域・社会のために志をもって生きていくことではないかと…。
 義父の通夜、次の日の葬儀にこられていた方々が、義父のことを口々にこうおっしゃっていました。
「誰にでも気配りのできる素敵な人でした。」
「私は、とってもよくしていただきました。本当にお世話になりっぱなしでした。感謝の気持ちでいっぱいです」
「こんなに立派な方は他にいません。悲しくて仕方ありません。」
 そう言いながら、涙を流し、深々と頭を下げられて帰っていかれたのです。義父の素晴らしい「人柄」を改めて知ることになりました。かけがえのない命を大切にすることはもちろんですが、誰かのためにという気持ちで生きていることで周りの人が笑顔となったり幸せを感じたりする。そしてそれが、自分自身の幸せとなっていくのだと思います。
 昨年8月に亡くなられた京セラ創業者の稲盛和夫さんは著書『考え方』の中でこのように述べています。

「不平不満を言わず、常に謙虚にしておごらず、生きていることに感謝する。誰にも負けない努力を重ね、自分が犠牲を払ってでも世のため人のために尽くそうとする。そうした『人に善(よ)かれかし』という優しい思いやりに満ちた、美しい『利他の心』が、実は自分自身の人生をもよくしていきます。そんな利他行を積んでいくことは一見、回り道のように見えます。ですが、『情けは人のためならず』と言われるように、優しい思いやりに満ちた心、行動は、相手に善(よ)きことをもたらすのみならず、必ず自分に返ってくるものです」

 偉大な方の言葉は、常に物事の真理をついています。私たち大人がそういう気持ちや心をもって子どもたちと接することはとても大切だと思います。私も少しでもこのような生き方ができるように精進していかなければと思う、4月です…