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【10月16日】私の母[その1]

公開日
2023/10/16
更新日
2023/10/16

校長のひとりごと

 10月中旬、朝晩はずいぶんと涼しく秋めいてきました。昨日は、心地よい秋晴れの中、釜蓋区の大運動会が行われていました。3年生2名の子が、ボランティアとして参加してくれていました。ありがとうございました!
 さて、来週金曜日の文化発表会での合唱コンクールへ向けて、子どもたちは毎日リーダーを中心に合唱練習に励んでいます。子どもたちの歌声と今は亡き母が重なる忘れられない思い出があり、10月は私にとって特別な「月」となっています。様々なところで、話をしたり、前任校での学校だよりやHPでもお伝えしたことはあるのですが、本校保護者の方、子どもたち、地域の方々にもお伝えしたく、数回に渡って、ひとりごとに載せたいと思います。

 15年前の10月21日、私の母は、5年半ほどのガンと闘いの末、70歳で亡くなりました。最初に、大腸にガンが見つかり、手術をすることになりました。手術後、もしかすると今後転移の可能性が…と主治医の先生に言われたものの、きっと大丈夫!と信じて疑いませんでした。しかし、その後、肺への転移が見つかり、再手術となりました。それが、合唱練習が始まった10月初めのことでした。当時、私は2年生の担任をし、『春に』という合唱曲をコンクールへ向け歌い始めた頃でした。そんな中、私は母の手術のために学校を一日休まないといけなくなり、子どもたちへ申し訳ない気持ちもあって、正直に休む理由を話しました。
 母がガンと診断されたときの自分の動揺ぶり、祈るような気持ちで一度目の手術を迎えたこと、そして無事成功し喜んだこと、恐れていた「転移」を聞いたときのショック、自分の母親の「死」を意識するようになったこと、大切な母親への思いなど私はたくさんのことを子どもたちに伝えました。伝えながら、涙が止まらなくなっている私がいました。私の言葉を聞き、その様子を見ながら泣いている子もいました。
 休みをとる前日の帰りの会、私は「明日、先生は休むけれど、担任がいないときこそ、しっかりと自分たちで頑張りなさい。よろしく頼むね!…じゃあ、挨拶して終わろう」と言いました。すると、一人の女の子が『先生、ちょっと待ってください!』と、手に何かを持って歩み寄ってきました。そして、『先生、これ、みんなで先生のお母さんの手術が成功するように書いたメッセージです。先生のお母さんに渡してください』と言って、一人一人の手書きのメッセージカードがきれいに貼られた色画用紙2冊を私にくれたのでした。私は、とても驚いたのと同時に、嬉しくて嬉しくて涙が溢れました。会ったこともない私の母への温かいメッセージとその行為に胸を打たれました。
 次の日私は、それを手に病院に向かいました。母に「うちのクラスの子どもたちからのメッセージだよ」と言って2冊の色画用紙を渡すと、「もう読む前から涙が出てきた。手術が終わってゆっくり読ませてもらうから…。本当にありがとう」。母は、目に涙をいっぱいにため「手術、頑張るから!」と手術室に入っていきました。私は、必死で母の手術の成功を祈りました。そして、母の手術は無事成功しました。
 次の日、学校に行き、無事に手術が成功したことを伝えると、子どもたちは嬉しそうに微笑み、大きな拍手をしてくれました。ある子どもが「先生、退院はいつになりそうですか?」と聞くので、「うまくいけば2週間後ぐらいだろうと病院の先生はおっしゃったよ」と答えました。すると数日後、子どもたちの生活ノートには、『先生、私たちのクラスの新たな目標が決まりました。金賞をとって、先生のお母さんに春日市の合唱祭にきてもらい、私たちの歌をプレゼントすることです』と書いてきてくれたのです。教室の後ろの黒板にも「先生のお母さんに合唱祭に来てもらう!絶対金賞!」を書かれていました。(春日市では、各校の金賞クラスだけが集まる“合唱祭”というものが毎年行われていました)正直、私のクラスの合唱は、2学年7クラスの中でも厳しい方ではありましたが、それからの子どもたちの練習の姿は真剣そのものでした。私もできることはしてあげたいと思い、国語の先生から教科書に載っていた『春に』について教えてもらい、子どもたちと一緒に詩の勉強をしました。また、ネットでどう歌えばいいのか調べたり、全パートに入って歌えるよう四六時中『春に』を聴いて全パートを覚えたりもしました。また、いろいろな先生に合唱を聴いてもらい、アドバイスをしていただきました。私のクラスの合唱は、日に日によくなっていきました…

(※私の母[その2]に続く)