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【1月25日】一度きりの人生

公開日
2024/01/25
更新日
2024/01/25

校長のひとりごと

 月刊誌『致知』2月号の「致知随想」に、2008年、39歳のときに“home”という曲でデビューされた木山裕策さんという方の言葉が載っていました。曲を聴けば「あ〜この曲を歌ってた人ね!」と、わかる方も多いのではないかと思います。
 実はこの木山さん、大学卒業後は「脚本家」を目指していたのですが、家庭をもたれ、お子様ができたこともあり、この夢をあきらめ大手人材会社に勤められます。そんな中、36歳のときに甲状腺ガンと診断されます。小さいときから歌が大好きだった木山さん。その大切な声を失うかもしれない。それは木山さんにとっても、生きる意味すらも揺るがすような重大事態。死を意識するようになったとき、胸の奥に秘めていた「歌手」という夢がふつふつと湧き上がってきたそうです。
 手術当日に、旧友の方が15年の辛抱と努力で文学賞を受賞し、夢を叶えられたを聞いた木山さんは、父として生きた証、病気に負けない姿を見せたい。手術が終わったら、何かにチャレンジしよう、もっとちゃんと生きよう…そう考えたそうです。しかし、術後の後遺症で半年が過ぎても、思うように歌うこともできないことに絶望感を覚えていました。人は墜ちるところまで墜ちると後は這い上がっていくもの。木山さんの心の中に、これ以上声が出ない、下手になることはないという前向きな感情が芽生え、発声のためのトレーニングをするようになります。地道なトレーニングを積み、術後1年が経った頃から、人前で歌う機会を増やし、オーディション番組に出場されます。デビューできるかも…と期待していましたが、最終選考で不合格。夢が閉ざされた悲しみに打ちひしがれ、応援に駆けつけた息子さんの涙を見て、夢なんて追いかけなければよかったと深く後悔されます。悲嘆と後悔の日々を送っているとき、突然の知らせが…。後にプロデュースしてくれた多胡邦夫(たごくにお)さんという方の力によって、オーディション番組の“リベンジ企画”がもちあがり、木山さんは再チャレンジするチャンスがめぐってきました。リベンジ企画には、息子さんは連れていかないつもりでいた木山さん。また失敗して子どもが泣くような辛い思いはさせたくないと思っていたのです。しかし、多胡さんがこう言われたそうです。
「木山さん、どうしてお子さんを連れてこないんですか?世の中ってね、確かにどんなに頑張ったってダメな時はありますよ。でも本当に子どもたちに見せないといけないのは勝つ姿じゃないでしょう? この流動的な世の中で勝ち続けることなんて難しい。頑張ったけど失敗して、倒れちゃったお父さんがいるとします。本当に見せなきゃいけないのは、そこからどう立ち上がって、前に進んでいくかという姿ではないですか?」
 木山さんはその言葉に発奮し、覚悟を決め、見事オーディションに合格し“home”という曲でデビューすることになったのです。現在、木山さんは様々ななところでコンサートや講演をしながら活躍されています。その木山さんが最後にこう言われています。
『今日までの歩みを振り返れば、私の人生は転んでばかりでした。夢を追うことには常に困難がつきまといましたが、それでも人目を気にして挑戦しなかった時より、いまは断然楽しいと言えます。挑戦せずにあきらめることは楽ですが、一つだけ間違いないのは、あきらめれば絶対に夢は叶わないということです。転んでもいい、負けてもいい、かっこわるくていい。私たちが生きているのは一度きりの人生なのです。私はこれからも夢を追い、人々に勇気を届け続けます』

多胡さんや木山さんの言葉…
「本当に見せなきゃいけないのは、倒れたときにどう立ち上がり前に進むのか…」
「転んでもいい、負けてもいい、かっこわるくていい、それよりも挑戦すること…」
「私たちが生きているのは一度きりの人生…」
 精一杯に生きる意味、そして、どのように生きていくかを考えさせられる言葉です。心に刺さる言葉です。どんどん前向きな失敗をしてまた立ち上がってまたチャレンジする…、それこそが大切なのだと改めて思います。ある方がこんなことを言われていました。
『やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる』