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【12月11日】平和な社会を求めて

公開日
2024/12/11
更新日
2024/12/11

校長のひとりごと

 2024年のノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロ市庁舎で行われ、その様子がテレビでも放送されていました。広島、長崎原爆の被害者らでつくられた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞し、代表委員である田中煕巳さん(92)、田中重光さん(84)、箕牧智之さん(82)にメダルと賞状が贈られていました。その後、代表して田中さんが以下のような内容で20分ほどの演説をされました。

■ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ・イスラエル戦争などでは、核の威嚇や使用をほのめかすなど、人道的に核兵器は絶対に使ってはならないという「核のタブー」が揺らいでいることに限りない悔しさと憤りを覚える

■長崎原爆の投下後、目にした光景は、人間の死とは言えない惨状。黒焦げになった伯母や無傷なのに高熱で亡くなった伯父など身内5人を失ったこと。(絶対に許せない)戦争であったとしてもこんな殺し方はあり得ない

■核兵器禁止条約の普遍化を目指し、各国に対して「原爆体験の証言の場」を設定してもらうようお願いする

■10年先には直接の体験者として証言できるのは数人になるかもしれない。私たち(被団協)の運動を次世代の皆さんが工夫しながら築いていってくれることを期待する


 切々と、ひと言ひと言に思いを込めながら演説をされていました。

 ノーベル賞委員会のフリードネス委員長は、身体的苦痛やつらい記憶を平和への希望に変えて活動してきた被爆者たちを「世界が必要としている光」と表現していました。また、

「世界が不安定な核の時代を迎えているからこそ、受賞による警告が重要であるし、安全保障を核兵器に依存するような世界で文明が存続できると信じるのは浅はか。(核廃絶)がどれだけ長く困難な道のりであっても、私たちは被団協から学ぶべきである」

 と強調されていました。


 以前、クリストファー・ノーラン監督作品である「オッペン・ハイマー」という映画を観ました。「原爆の父」と呼ばれた物理学者であるオッペン・ハイマーに焦点を当てた映画でした。この映画にはもちろん賛否があり、原爆の開発者であるオッペンハイマーの苦しみは、原爆や核実験の被害者の苦しみよりも優先されるべきなのか?、というような批評もあります。ただ私にとっては、原爆や戦争、そして人間について、改めて考える機会となりました。


 田中さんは演説の最後に次のような言葉を言われていました。

「核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核対策を変えさせる力になるよう願っています。人類が核兵器で自滅することのないように…。核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」。

 会場からは、鳴り止まない拍手が沸き起こっていました。被団協の方々の受賞が持つ意味を、そして、私たち一人一人が核について、戦争について、平和について改めて考える必要があると思います。