【6月28日】いざこざのもと
- 公開日
- 2023/06/28
- 更新日
- 2023/06/28
校長のひとりごと
「世の中のいざこざの因(もと、原因)になるのは、奸策(かんさく:わるだくみ)や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね」
上の言葉は、ドイツの詩人であるゲーテの作品『若きウェルテルの悩み』の中に出てくる言葉です。立命館アジア太平洋大学 学長の出口治明さん著『人生の教養が身につく名言集』にこの言葉について次のようなことが書かれています。
人間関係は、ときにこじれることがあります。その原因を探ってみると、どちらかに悪意があった場合より、どちらかがついうっかりしてコミュニケーションを怠けてしまったがゆえに起こってしまった場合のほうが、はるかに多いのではないでしょうか。
たとえば、ある行事に呼ばれなかったAさんが、主催者と敵対関係になってします。こういうシチュエーションはしばしば見られます。このとき、主催者側がわざとAさんを怒らせるために声をかけなかったというのは、かなりまれなケースだと思います。たいていは悪意がない。声をかけるのをうっかりして忘れてしまったとか、定員オーバーだったので、「まあ、いいか」とほったらかしにしてしまった…などでしょう。
しかし、コミュニケーション不足が争いの元になるのです。声をかけてもらえなければ、Aさんは、自分がないがしろにされたような気分になります。「これまであれほどよくしてやったのに、俺に声をかけないとは何事だ。あの恩知らずは許せん」と憤ってしまうのも仕方ありません。一方、事前に「今回、もう定員がいっぱいになってしまったから、おまえを呼べないけど、ごめんな」と一言伝えておけば、Aさんも「いいよ」と、丸く収まったかもしれません。ところが、この一言を怠けてします。そして、その結果、相手との関係が悪くなる。
人間関係のこじれというものは、だいたいがこうした瑣末(さまつ:ささいなこと)なところから生じているように思います。悪意のかたまりのような人物がいて、「あいつとあいつをケンカさせよう」と奸策していざこざが起こるケースなど滅多にないのではないでしょうか。
読まれてどう感じられたでしょうか?
「あるある」だと私は思いました。どこかに「言わなくてもわかるだろう」という過信があるから…もしくはたった一言なのにめんどくさいとか、一度連絡したけど繋がらなくて、そのうち忘れていたとか…皆さんは経験ないでしょうか?
ちょっとした一言や根回し、事前の連絡やお断りなど、きちんとしておけば起こらなかったトラブルが身の回りには多くあるように思います。それは子どもたちも同じです。コミュニケーションをきちんととらなかったことや、「ありがとう」とか「ごめんなさい」を言わなかったことで、相手を不愉快にさせ、不信感を抱かれ、トラブルになることがよくあります。子ども同士、大人同士だけでなく、大人と子どもでも同じです。
互いに気持ちよく過ごせるように、「相手意識」をもち、その「一言」を怠けず、めんどくさがらずきちんと言わなければと、私自身が反省させられました。これも、「目配り・気配り・心配り」の大切なひとつですね。