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【10月18日】私の母[その3]

公開日
2023/10/18
更新日
2023/10/18

校長のひとりごと

(※10月17日の「ひとりごと」の続きです)
 それから3年後(2008年)、私は2年生の担任をしていました。母は、前回の手術後も再手術を含む入退院を繰り返しました。病魔は確実に母の体を蝕んでいきました。あれは、合唱の練習が始まった9月30日の夕方のことでした。父親から電話があり、「今、家で倒れて危ない状態。救急車を呼んだ。すぐに帰ってきてくれ」と。私は、慌てました。バタバタと片付けをして急いで帰宅しました。家の前には救急車が止まったままでした。だいぶ時間が経っているはずなのに…。なんと、搬送する病院が見つからなかったのです。かかりつけの病院は久留米市でしたが、そちらにも受け入れが厳しいとのこと。私は、「母にもしものことがあったら…」と平常心ではいられない状態でした。やっとのことで、搬送先が決まり、救急車は出発しました。病院ではすぐに、集中治療室に入りました。私は廊下で、家族とともにただ祈るだけでした。なんとか一命は取り留めました。次の日、しばらくして母は目を覚ましました。ほっとしたのもつかの間、数日間の検査のあと、病院の先生に家族が呼ばれました。先生からの言葉はあまりにも無情なものでした
「もう手の施しようがありません…」
 私は自分の耳を疑いながらも、絶望感でいっぱいでした。それと同時に「信じたくない!夢であってくれ!」と奇跡を信じ、そしてひたすら回復を願いました。
 私の母はとても明るく「笑顔、笑顔」と「感謝、感謝」が口癖でした。そして、「起こることには意味がある。いいことも悪いこともすべては自分のため」そして、「苦労は買ってでもしなさい」と、私たち子どもにも言っていました。ですから、入院中も起きているときは、「ガンなんかには負けんよ!」と笑顔で言っていました。毎日夕方、母の病室を訪ね、奇跡だけを信じ続けました。 
 しかし、母は、日に日に弱っていきました。痛みを止めるための薬はだんだん強くなり、入院後2週間後くらいには、母はもう目を開けることもなくずっと眠っている状態になりました。病室に行っても、私はただ母のそばにいるだけでした。
 そんなある日、ふと、母の声が聞こえた気がしました。気のせいかと思いましたが、母の顔をよく見ると、口が動いていました。母の顔に耳を近づけると、ささやくような声が聞こえたのです
「何でこんなことになったんかねぇ−。悔しかぁー」。
母の顔を見ると、閉じたままの目から涙がつたっていました。私は「お母さん!」と呼びかけましたが、応答はありませんでした。「悔しかぁー」と言った母の思いを察し、私は胸が痛くて仕方がありませんでした。知り合いの方が見舞いに来たときも、笑顔で「大丈夫!必ず治って退院するから…」と言っていた母。どんな時も弱音を吐かず、笑顔でいようとした母。でも本心は…。
 病院からの帰りの車の中、私は、母の言葉、頬をつたった涙のことが頭から離れず、涙が止まらなくなりました。目の前が涙でかすんで見えないほどでした。私は車を止め、ずっと泣き続けました。私は、涙ってこんなにもでるものなのだと思いました。
 母の病院に通った3週間、私は幾度となく泣きました。車の中で泣き、家に帰って一人で泣き、自分でも恥ずかしいくらい泣きました。何とかできないか、何とかしてあげたい、もっとこうしておけば…後悔しても後悔しても、もうどうにもならないことはわかっていましたが、それでも「奇跡」を信じ続けました。しかし、願いは届かず、10月21日に家族にみとられながらこの世を去りました。ちょうど70歳でした。
 葬儀での挨拶文は、母のそばにいて夜通しで、様々なことを思い出しながら考えました。思い出しながらまた涙が溢れて、なかなか進みませんでした。まだ母が亡くなった現実を受け止められない自分がいて、出来上がったのは朝でした。葬儀が無事に終わり、私の挨拶…。原稿は持っていたのですが、マイクの前に立った瞬間、言葉が出なくなったのです。次の瞬間、すぐそばに「母」を感じたのです。すぐそばにいて、母がこう言うのです。
「ほら、浩彦!しっかりしなさい!ちゃんと見守っているから…」。
 こらえていた涙がまた溢れてきました。しかし私は、母のためにも、弔問に来てくださった方への感謝と母への思いを伝えなければと、大きな深呼吸をして話しはじめました。母が微笑んで聞いてくれていたようでした(そんな不思議な感覚でした)。
 母の通夜には、350人以上の方が、葬儀には150人以上の方が弔問に来てくださいました。こんなにもたくさんの方に見送っていただいて、母は幸せだったと思います。70年間の人生…人が笑顔になること、人が喜ぶことを一番に考え、人のために尽くし続けた母。やはり、母は偉大でした…

 (※私の母[その4]に続く)