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【11月16日】学ぶとは…

公開日
2023/11/16
更新日
2023/11/16

校長のひとりごと

 教育情報誌『きょうこう』に歌手で俳優の武田鉄矢さんのインタビューが載っていました。その一部を紹介します。

◆「すぐに分かることは面白くない」
 学業不振は続きましたが、影響を受けた先生は何人もいます。それは授業の内容ではなくて、先生の立ち居振る舞いや怒り方でした。「なぜ先生はあんなに夢中で話すのだろう」「なぜ生徒を脅すような怒り方をするのだろう」というような不思議さ、謎というのでしょうか。
 高校時代の美術の先生は、棟方志功を語っているときに、あくびをした生徒を見つけて怒りました。「棟方志功の版画の面白さが分からない奴は、いつか後悔するぞ」と。まるで脅しです(笑)。生徒は先生の本気にたじろぎました。この「たじろぎ」が師に学ぶという作法を学ぶのだということに気付いたのは、歳月を経て大人になってからでした。大人になって棟方志功に触れたときも、あの先生はそのとき、感性を磨けと仰っていたのだなと合点がいきました。自分の「問い」をホールドしておくこと。歳月が経って「解」に巡り会えたときのトキメキは格別です。AIはすぐに答えを出してくれますが、すぐに分かることは面白くない。表情のないものはつまらない。AIに寅さんは書けないでしょう(笑)。僕はそんなふうに考えています。
◆「学ぶとは」
 齢(とし)74になりました。坂本竜馬(司馬遼太郎著「竜馬がゆく」)に出会ったのは、劣等感の塊だった18歳。今でも竜馬への熱は冷めません。九州博多をフォークソング仲間と東京に向かって飛び出し、上ったかとおもえば転がり落ちて振り出しに戻り、ときにチャンスの神様に拾われた青年期。大病した中年期。初老の域に入ってからは、自己の中にある問いをノートに書き、解を求めて多くの書を求め、また書くということを続けています。合気道道場の門を叩いたのは65歳の頃でした。新たな師と学びを求めて飛び込んだ道場です。
 僕が師と仰ぐ内田樹(うちだたつる)氏の言葉に、「日本の国力は学ぶ力にある」があります。日本人は相手が誰であろうと、すごいと思えば素直に教えを請う学びの歴史をもっているというのです。「学ぶ」とは「学ぶ」ものを探知し、拾い集める姿勢と礼儀のこと。それさえあれば賢愚善悪いかなる人からも私たちは何かを「学び」とることができる。僕はそう解釈しました。人類不変の仕事が教育なのだと思います。だからこそ学校教育は面白くて難しいのではないでしょうか。金八先生の教え子たちが還暦を迎えるようになりました。一足先に人生の坂を上った師として、老いることの意味を見つけてやりたいと思っています。

 私が中学生のとき、はまって観ていたドラマが「3年B組金八先生」でした。そして私が小学校・中学校と出会った先生方、そしてこのテレビドラマの影響で、私は「中学校の先生になりたい!」と考えるようになりました(と、もう一つの夢が歌手でした)。
 武田鉄矢さんの言葉や話し方は自分にとっては、とても学びの多いものでした。今回の言葉にある「すぐに分かることは面白くない」「“学ぶ”とは“学ぶ”ものを探知し、拾い集める姿勢と礼儀」「人類不変の仕事が教育…だからこそ学校教育は面白くて難しい」という言葉がとても心に残りました。ひとりごとでも何度もつぶやきましたが、年齢がいけばいくほど、人生とは一生勉強であり一生学び続けることだと感じます。そして、学べば学ぶほど、自分がいかに勉強不足で知らないことが多いかを実感させられます。だからこそ、謙虚に学ぶ心や姿勢が大切であるし、礼儀や感謝が必要なのだと思います。自分自身に学ぶ姿勢があれば、周りのすべての「ひと・もの・こと」が「学び」であると私は思います。