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【12月18日】そういう人に…

公開日
2023/12/18
更新日
2023/12/18

校長のひとりごと

 今朝の西日本新聞のコラム『春秋』からです。

 令和5年は海の向こうの大谷翔平選手の話で暮れていく。話はその人の出身地にも向く。岩手県が生んだ最大のスターであると若い世代は言う。
 岩手にはスーパースターの先輩がいる。時を超えてそんな形容もされることを知らずに生涯を終えた。明治期生まれの宮沢賢治。没後90年。令和の今も口ずさむ人が大勢いる。「雨ニモマケズ」は手帳に題を付けずにメモ風に書き留められていた。37歳で病没する2年前、両親への遺書と同じころに、作品としてではなく、自分に向けて…。賢治の実弟の清六の孫にあたる宮沢和樹さんは回想している。(今年5月刊行の文春新書「美しい日本人」所収)。手帳は遺品のトランクのポケットから発見された。「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」と結ぶ過程で、「行ッテ」という言い方が繰り返されている。東西南北に「行ッテ」看病し、稲の束を背負い、争い事があれば仲裁する…。それに通じる生き方を、賢治は農民のために実践した。手帳の文も作品として公表するべきだと祖父(清六)は考えた、と和樹さん。
 平成の東日本大震災の時、被災地に入ったボランティアや自衛隊員の間では「雨ニモマケズ」がよく読まれたという。そう知って小欄も改めて読んだ。そして思った。宮沢賢治の精神のかたちを国のかたちとし、舞台を世界に広げる、サウイフクニニ/ニホンハナリタイ。

 雨ニモマケズの原文は、漢字とカタカナの表記ですが、読みやすいように漢字とひらがなで表記すると次のようになります。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きしわかり そして忘れず
野原の松の林の陰の小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず
そういう者に私はなりたい

 病床に伏し、自らの死を覚悟した宮沢賢治が記したものです。『雨ニモマケズ』で語られる人物は、自分を律し真面目で、他人に対し優しい気持ちを持つだけでなく、実際に行動できて、時に挫折しそうになりながらも、前を向いて歩いていく人です。そんな人に私はなりたいと思う宮沢賢治の強い意志が表れていると思います。自分を変えるのはもちろん簡単なことではありません。しかしこの詩のように、自分の理想を胸に抱き、そうなれるよう、前向きに進んでいくことが大切なのかもしれません。
 自分の身の回りや社会、そして日本、世界へと少しでも目を向け、自分ができることは何があるのか考え、行動していくことの大切さを教えてくれているのだと思います。
 ちなみに、今年公開された『銀河鉄道の父』という映画を観させていただきました。賢治の父親である政次郎の視点で描かれた映画でしたが、役所広司さんや菅田将暉さんの素晴らしい演技も相まって、とても感動し、考えさせられる映画でした。