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【4月15日】あれから8年

公開日
2024/04/15
更新日
2024/04/15

校長のひとりごと

 昨日14日で、熊本地震から8年となりました。2度(14日と16日)の震度7の揺れを観測した一連の熊本地震では、災害関連死も含めて熊本県と大分県であわせて276人が亡くなり、熊本県内では19万8000棟余りの住宅が全半壊するなどの被害が出ました。昨日、熊本県では、県主催の追悼式も行われていました。
 3年前の県主催の追悼式で、造園業をされている冨岡健蔵さんという方が述べられた、遺族代表の言葉を載せます。

「父は農業を営む傍ら、孫たちの世話を楽しんだり、積極的に地域の行事に参加したりと、充実した日々を過ごしていました」
 2016年4月16日未明、1階に寝ていた冨岡さんは激震で目が覚め、とっさに当時小学生だった息子たちに覆いかぶさった。
「崩れ落ちた天井と床の間にできたわずか1メートルほどの隙間のおかげで、奇跡的に無傷で、九死に一生を得ました」
 妻と母も無事だったが、1階の別室で寝ていた父、王将さんがいない。「おやじ!おやじ!」。何度も呼びかけたが返事はなかった。明け方になって王将さんは救出されたが、既に生き絶えていた。倒壊した家を見ると、玄関先の松とカシの木に寄りかかっていた。
「1階が完全につぶれなかったのは、父が丹精込めて育てた2本の木が支えとなってくれたからです。私たち家族は『父が命を守ってくれた』と思っています」
 救われた命を無駄にしない…。数ヶ月後には仕事を再開。2018年7月に基の場所に自宅を建て直した。前の住宅を建てた50年以上前、王将さんが「家の前には木を植えるもんだ」と苗から育てた“おやじの木”は、今も同じ場所で家族を見守る。
 父の代からの得意先で庭の剪定(せんてい)をしていると、最近は「お父さんに似てきたね」と言われることも。父に恥じない仕事をしようと気が引き締まるという。追悼式後、冨岡さんは「家族を守るために前に進んでいく姿を、父には見守ってほしい」と穏やかな表情で語った。

 自然災害の多い日本。今年1月の能登半島地震のときもそうですが、「死者○名、負傷者○名、住宅の全壊○棟…」などの報道で、数字だけを見て、多いとか少ないとか判断をしてしまうことがあるかもしれませんが、決してそんなことではないのです。当たり前ですが、たとえ何人であったとしても、その方には家族があり、それぞれの大切な人生があったのです。かけがえのない大切な「1(ひとり)」であることを私たちは忘れてはいけません。たくさんの「縁」と「繋がり」、「支え」の中で私たちは「生かされている」のだと思います。そして、冨岡さんの言葉にもあるように「奇跡」のような出来事や運命的なもの、何かに見守られているようなことを感じることがあります。だからこそ、出会いを大切にすることはもちろん、授かった命、与えてもらった命、支えられている命を大切にしなければなりません。苦しいこと、つらいこと、失敗することは誰にでもありますが、それでも私たちは、それらを乗り越え、精一杯に生きていくことが大切だと思います。それが成長にも繋がるし、生きているということだと思います。
 改めて、日頃からの「備え」を大切にするとともに、これからも誰かのため、社会のため、世界のために支え合い、助け合う姿勢をもち、日々精一杯に生きなければと思います。

 今、昼休み…ひとりごとを作成していると、生徒会総務7名の子たちが突然訪ねてきてくれました。「どうしたの?いつも、ありがとうね!」というと、会長の宮崎龍史さんが「校長先生、生徒会スローガンの横断幕、ありがとうございます!」と言ってくれました。彼らは、横断幕のお礼に来てくれたのです。私は、
「いえいえ、私はたいしたことはしてないの。ただ、何とか、君たちが登校してくる始業式までに掲示したいという思いで、たくさんの方に動いていただいたんだよ。そして、業者の方にも協力してもらって、“超特急”で仕上げてもらったの。君たちがいつもいつも頑張ってくれているから。できることは全力でしたいと思ってるよ。これからもよろしく頼みますね!生徒会スローガンは、“共に創る”だから、先生方もみんな一緒になって、共に頑張っていこうね!」。
 そう言うと彼らは、笑顔で「はい!」と返事してくれました。いつも前向きで素晴らしい子どもたちです。また、元気をいただきました。生徒会総務の皆さん、ありがとうございました!(そのあと、校長室で撮った写真です↓)