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【12月10日】経験を積むこと

公開日
2024/12/10
更新日
2024/12/10

校長のひとりごと

 昨日に引き続き、東京大学名誉教授の養老孟司さん著『人生の壁』からです。


 筋トレならばその理屈は理解されているのに、会社や組織でのことになると、自分に力がついていると受け止めない人が多い。むしろ割を食っている。損をしていると考える人のほうが多いようです。なぜそういう考えになるのかわかりません。私は若い頃から、その種のことは修行だと思ってやっていました。自分のため、と言ってもいいでしょう。そう考えなければやっていられなかった、とも言えます。いまは修行という言葉は使わずにスキルアップという言葉が好まれるようです。スキルアップのために、どこかのセミナーに行く、専門の教室に通う、という。そのように努力して知識を得たり、資格を取ったりすることが悪いとは言いません。しかしそれは他人が評価するスキルであって、本当の意味での「生きるスキル」ではないと思います。自分に本当の力がついたということではないのです。

 私は医師免許こそ持っていますが、医者として患者さんを診るスキルはほとんどゼロです。もう半世紀どころか60年も患者を診ていない、いわゆる「経験なき医師団」の一員です。ペーパードクターです。つまり資格という観点から言えば、医師免許という国家が認めるものを持っているけれども、実際に使えるスキルは持っていないことになります。

 本当の力とは、日常の経験から身につくものではないでしょうか。もしかすると、その中には時間外労働も含まれるかもしれません。仕事によっては、土日であっても働かなければならない場合もあるでしょう。近頃は、働き方改革などといってそういうものは「余分な仕事」として排除していく方向に進んでいます。その一方で、スキルを身につけましょうというのはおかしなことなのです。もちろん、他人の仕事を請け負いすぎて参ってしまったり、休日もなく働いて心身を壊してしまったりするのは避けなくてはなりません。ブラック労働をお勧めしているわけではありません。それでも多少の無理をすることはそれなりの意味があると思います。さきほどのたとえでいえば、筋肉がつくのです。


 私は教諭としての免許を持っています。数学と理科の免許です。大学を卒業して最初の学校に赴任したとき、免許があってももちろん授業は下手くそで足りないことばかりでしたが、それ以上に大学で学んできたことがまったく通用しないことが山ほどありました。それより、「荒れた学校」という想像をはるかに超えるような驚くべきことがたくさんあり、対応に苦慮しました。子どもたちにどう向き合えばいいか、保護者の方にどんな話をすれば伝わるのか…悩み苦しみました。朝6時すぎには家を出て仕事に行き、様々な対応に追われ夜中に帰ることもしばしば…疲れ果てて帰って一瞬目を閉じるとまた朝になり、すぐに学校へ…。辞めようとも思いました。しかし、たくさんの子どもたちに支えられ、保護者の方に励まされ、同僚の先生方に助けられ、乗り越えてきました。経験する中でたくさんのことを学び、身につけてきたことが山ほどあります。大学では決して学ぶことはなかったことを経験したからこそ、今があります。

 正直、体力的にも精神的にもきついこともありましたが、子どもたちから、その何倍も何十倍にも相当するような素敵な「宝物」をもらいました。保護者の方にもたくさんのあたたかい言葉や支援をいただきました。それが私の財産になっています。未だに私のところに挨拶や近況報告に来てくれる教え子たちがいます。集まってくれて私の「誕生会」をしてくださる保護者の方々がいます。ありがたい限りです。

 子どもたちは「宝」です。未来を担う「宝」です。無限の可能性をもった子どもたちがいきいきと過ごせるような学校、社会となるよう、私たち大人がたくさんの「経験」や「学び」をしながら、「スキル」や「筋肉」をつけて頑張らないといけないことがやはりあるのではないかと思います。