【3月21日】“自分ごと”として…
- 公開日
- 2025/03/21
- 更新日
- 2025/03/21
校長のひとりごと
3月17日付、日本教育新聞のコラム『不易流行』からです。
春3月、旅立ちの季節。地球温暖化で、日本の一部の地域では入学式に付きものであった桜の花が、今や卒業式の花となりつつある。
東日本大震災の当日が卒業式であった東北のある中学校を、同年夏に訪ねる機会があった。午前中に足を踏み入れた瞬間、驚きの光景が広がっていた。床には海岸砂が厚く堆積し、浜辺から押し流されてきた松の巨木が扉を破壊して横たわり、壇上の国旗には津波の痕跡がくっきりと残る。巨大津波が式典後であったのが不幸中の幸いであった。
東日本大震災から14年の今春、JR東日本が中心となっている「東北復興ツーリズム」に参加した。被災地の復興支援と、震災の記憶の風化防止が目的だ。被災地にはたびたび訪れていたが、訪ねるたびに様相が変わっていく。震災の痕跡のがれきが消え、海岸部には圧倒されるような堤防が築かれ、市街地は高台に移転されていた。
現在、震災から学ぶものは、震災の実態だけでなく、「ひとごと」ではない「自分ごと」としての取組である。復興への過程・方策、そして未来社会への工程図である。震災時は高校生で体育の授業中だったという現地担当者をはじめ、当時の小・中、高校生が復興から新しい地域づくりの大きな力になっている現実を見聞きして頼もしく思いつつ、帰路に就いた。
昨年10月のひとりごとでは「“いのち”の尊さ」と題して、私が岩手の研修で見て学んだことの一端を紹介しました。コラムに出てくる中学校では卒業式が終わったあとの地震とのことですが、ひとりごとで紹介した「階上中学校」では卒業式前日のことでした。当日であれ前日であれ、震災が奪っていったものはあまりにも大きなものであったことに変わりはありません…。昨日は、福岡沖地震からちょうど20年でした。当時、玄界島では島内約230世帯の9割が被災し、多くの住民が避難されていました。昨日、玄界島では住民や陸上自衛隊、福岡県警など約350人による防災訓練を実施していました。要するに、地震が起きることを防ぐことはできなくても「備え」や「準備」「訓練」などによって、減災に努めることが大事なのだと思います。
そのことにふれた西日本新聞のコラムの最後にはこんなことが書かれています。
「福岡市は地震から20年の節目に、避難所の確認やデマへの注意など、もしもの災害に備えた教訓を発信している。地震大国に暮らす以上、天災は忘れた頃に、を忘れずに」。 これまでに得た教訓を引き継ぎながら、「いつ、どこで、誰の身に起きてもおかしくない自然災害」という認識のもと、私たちは生活し、行動していかなければいけないということだと思います。